トピック

精神と寿命の関係

話題が広まっているようなのと、興味があるのでチェック。

「幸福な月曜日」さま(10月17日)
http://humisaka.at.infoseek.co.jp/
ここが話題の投げ手。

流れていくので転載します。

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200年300年、場合によってはもっと生きている設定のキャラクタがたまにいるわけだが、
大抵はそのキャラクタ、10代かそこらと同程度の精神年齢…というか若々しい発想や行動力を示す。
で、お前らマジにン百年生きてきたのか?と思うんだよ。寝て過ごしてきたってんならまあ話は別だが…。
あまりにも年月による擦れがなさ過ぎる

人はあと百年位したらもしかしたら機械の体を手に入れて肉体的には不老不死になるかもしれないけれど、
でも寿命は200年くらいが限度だと思う。おそらくもっと下なんだろう。
肉体的に不死でも、心が年月が経つにつれだんだん磨耗してきていつか焼き切れてしまう。
何十年で焼き切れる人だっているんだ。いくら脳天気な人でも200年は持つまい。
磨耗しない心を持ったらそれはもうロボットとかそういうモノになるからな…人が人で ある限り寿命は限界があると思う。

ン百年生きる若々しいキャラクタのことから、そんなことを考えた
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心と体は相互干渉…心次第で肉体は変わるし肉体次第で心は変わる、どちらかのみで成り立つということはない。
という風に俺は思い込んでいるんだけれども、それが真だとして、
心が焼ききれた人の体は、その体がとても長持ちするものだとしても腐ったり石みたく変質したりするのかね?
具体的にいうとオルタのことなんだが、生きる気力のなくなったオルタはどうなるんだろうか。
「ライフゲーム」という概念はあるけど、あれはただダラダラと生きていく、という意味合いに読める。
そうではなく、もう行動も出来ないほどに心が腐りきったオルタはどうなるんだろうか?
考えると面白いかもしれない。ウィラ・ジーン向きの話題だしな。
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10月18日、10月19日にも関連記事あり。

「朔望録」さま
http://saku-bo.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_5c44.html

「wired raven :: NEW VISION」さま
http://d.hatena.ne.jp/sesuna/20071018/1192713908

「戯言の掃溜」さま
http://d.hatena.ne.jp/ooo3/20071018/1192713458

「交叉時点」さま
http://bottleinsanity.blog83.fc2.com/blog-entry-245.html

「『邪魔する奴の指先一つでダウンさ(俺が)』日記」さま
http://444.ifdef.jp/nd.html

記事が流れていくので転載しました。

■2007/10/20
年齢でヒトは磨耗するか・・・
30年生きても精神年齢がガキのままの奴もいる。
ガキのままだから怖いものも礼儀も知らず、無謀に無様に失敗を恐れずに生きる。
それは若さではない。
若さゆえの過ちで許されるものではない。
その一方、無意味に過ぎ行くの繰り返しの日々で磨耗し、諦念と惰性で挑戦する心を失う
それは達観に似て非なるもの。
そんな人生に一片の意味もない。
・・・・・ふむ。ゴーストって、知らず知らずの内にゴーストマスタに似るものなのかな。 

設定上の強さとか外観のカッコよさ、可愛さとかの願望の反映はともかくとして、精神の根底とか。

以下、あまり意味のない話。

ゆっくり流れすぎている、早く流れすぎている、という「感覚」の話をする。

さて、ねずみは自分の寿命を短いと感じているだろうか?
おそらくそうではあるまい。

では、人間の君はどうだろうか。
自分の寿命が長すぎる、と感じているだろうか?

もっと長い象はどうだろうか。
あたふたしているようには見えないし、もてあましているようにも見えない。

以上より、生き物はそれぞれ、自らの尺にあった感覚を持ち合わせている、と考えられる。
そうであれば、尺の調整を効かせられる生き物は感覚の調整機能を備えていてしかるべきだろう。

寿命より早く朽ちてしまっては寿命の意味がないし、
寿命とは呼べないのだから、当たり前とも言えるかもしれない。

もっとも、自然の生き物以外は外れてしまうわけだが。
よって、この話にはあまり意味がない。

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